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サルでもわかるFX

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どんだけぇ~
ぶりの更新なんでしょうか…。
そして、皆さまに心配かけてしまったのでしょうか…。

え~と、当Blogを定期的にチェックして頂いている奇特な(?)皆さま
たいへん×2ご無沙汰しておりました、タダシガキです。

何やら巷では私の重病説や死亡説が流れているとかいないとか…。
そう思っていた方って、「どんだけぇ」います?
該当する方は下記の拍手ボタンをポチッと押してみて下さい(笑)。

冗談はさておき、私はいたって健康です。

昨年末に、通教の私の大切な友人の一人であるAちゃんから、「一番最後のブログの内容が内容だっただけに余計心配」だから、健康である旨を伝えるべく更新すべきとのアドバイスを頂いたのにもかかわらず!
更新がすっかり遅れてしまいまして、どうもスミマセン。

わたくし、Aちゃんに指摘されるまであまり気にもとめなかったのですが、
前回あのような内容のBlogを書いたあと、長期間にわたり音沙汰無しとなれば、たしかに気になってしまうかも…。

にもかかわらず、私が更新しなかった理由は次のいずれでしょうか?
① めちゃ忙しかった
② 不精者だから
③ Blogなんてものに、すっかり飽き飽きしてしまったから

正解は、ご想像におかませします。
ダラダラは嫌われるよ。
数日前、ネット上で知り合った通教の友人にその人のBlogのアドレスを教えてもらいました。
そこで、さっそく訪ねてみました。
明るい感じのとても雰囲気のよいBlogでした。
しかも、内容に目を通してみて思ったのですが、コンパクトにまとめられてありながらも、その人の気持ちなどがよく伝わってくるよい文章だな~って。
つまり、ダラダラと無駄なことが書かれていない読みやすい文章なのです。
文才がある方だな~と感心しました。
(ご本人の許可を得ていないため、アドレスを掲載できずスミマセン)

それに比べてワタクシときたら…。
これまでに書いたBlogをお読み頂ければ一目瞭然ですが、Blogにしては長めの文章ばかりだと思いません?
それはですね、正確な情報をできるだけ多く伝えるために詳細に書こうとし、かつ、一回の記事でたくさんのことをお伝えしたく思うがあまり長文気味になってしまうのであって、ある意味欲張りすぎるのでしょう…。
いえ、実はそうではありません。
単に自分に文才が無いだけのことです。
Blogに限らず、ワタクシはモノを書くと冗長になりすぎる嫌いがあるのです。
この事はレポート作成時に如実に表れます。

ワタクシはWordを用いて下書きをするのですが、ざっと下書きを作成した時点で少なくとも3,000字、多ければ4,000字をオーバーします。
レポート用紙は3,000字まで記入可能ですが、改行することなどを考えると事実上2,700字位が限度でしょう。
ですから、いっつも文書を削るのに苦労しています。
この時、Wordの文字カウント機能が大活躍してます。
現在の文字数を確認しながら、ちびちび削ってます。
(便利な機能っす!)

レポート課題集の「レポートの書き方」(5頁)には、「2,000字程度を目安として下さい」と太字で書かれておりますが、ワタクシはいつもそれを完全に無視しています。
無視するというよりも、そんな字数に納めることができないと言ったほうが正確かもしれません(笑)。
だいたいいつも、参考文献名の記述を含め2,500~2,600になってしまいます。
2,600字だと最後の頁まで到達します。
書きれないとヤバイので、下書きが完成した時点で、Wordの「ページ設定」の中にある「原稿用紙の設定にする」にチェックを入れ、レポート用紙と同じ20字×10行で設定し、15頁に収まっているか確認してます。
(これまた便利な機能っす!)

こんなワタクシの書くBogですから、冗長になるには当然ってとこでしょうか。
でも、ワタクシならクリックした画面にいきなり文字がうわっと羅列されたモノが現れたら、その時点で読む気力が失せますからねぇ…頂けませんね。

「よし!!今日からコンパクトにまとめるよう努力しよう!」
って言ってる矢先から長くなってしまった…。
「えっ?お前の文章なぞ長いモノのうちに入らなね~って?」
そうりゃそうかもしれません。
でも、本当に長い文章でも文才ある方のモノは得てしてスラスラ読めてしまうものだと思います。
ようするに、「スラっと読んで頂けるような文章を書かなければ」といったとこでしょうか…。

果たしてこの先ワタクシの文章作成能力は向上するのでしょうか…。
(明日からも長くなっていたとしてもご愛敬ということで・笑)

最後まで読んで下さって、どうもありがとうございます。
鉄は熱いうちに打て
中大通教で「法律」を学ぶと決意した頃の話しです。

大学での学習経験のない私は、かねてより大学で学んでみたい、卒業資格を得たい、という願望を持ち合わせておりました。
しかし、それを実現するには、当時就いていた職業がネックでした。
なぜならば、ワタクシが入学前に従事していた職務は、「労働法」とは無縁の、ほとんど年中無休状態(まる一日休めたのは年間10日位)で、拘束時間も長かったのです。
なんとか学習時間を捻り出したとしても、スク参加することはおろか、試験を受けるために休暇と取る余裕なんて皆無でしたから。

そんな仕事、とっとと辞めちまえば済むだけの話しですし、それでなくとも何度も辞めようと考えましたけど、収入がかなり良かったために思いとどまっていたのです。
ある意味、プチ拝金主義者だったわけですねぇ(笑)

その頃ワタクシはよく雑談中に「大学で学んでみたいけど、無理だと思う」みたいな思いを打ち明けることが多々ありました。
そんなワタクシに対し「今からだって、決して遅くないよ、まだ若いのだから」と助言して下さった目上の方も何人かいらっしゃいました。
でも、そのようなアドバイスを受けても、当の本人といえば「収入減るのは嫌だし、それに第一、今更この歳でどうなるってんだい!」って思いがかなり強く、端から諦めてました。
(ワタクシの年齢は非公開ですが、消費税の無かった古き良き時代を知っているといえば、おおよそ年齢の下限は想像がつくのではないでしょうか・笑)

大学への憧れを漠然としか持っていなかったワタクシでしたが、あることを契機に「大学で学ぶ」ことを具体的に考え出すようになったのです。
それは、過労が重なり入院したことがきっかけです。

若いから大丈夫だと思い、少々体調が優れなくとも無理して働いていましたが、ついにガタがきたのです。
医者に緊急入院を告げられましたが、ワタクシはそれでも仕事を優先し、自宅療養を頑固に主張しました(模範的仕事バカ人間・笑)。
医者は「下手すれば命を落とす危険性もあり、そもそも自力歩行禁止」と車椅子に乗ることを命じてきたのです。
しょうがないので、入院することに…。
その旨会社に連絡したところ、経営者が心配したのは、「ワタクシの体」より「業務に支障を来さないか」でした。
いや~、そういうオーナーだとは思ってましたけど、あからさまな態度に出られると、神経の図太いワタクシでもさすがにへこみましたねぇ(笑)

で、三週間ほどの入院とあいなったわけですが、入院中は暇で暇で(笑)。
そこで、以前より興味があった法律関係の本をいくつも買ってきてもらい、ついでに初めて六法も購入したのです。
自分の興味ある範囲でのみ勉強するのですから、いまより気軽で楽しかったですね(笑)。
そして、無謀にも真面目に「法律」を勉強してみたいと徐々に思いが募っていくようになったのです。

それまでの我が人生をふり返ってみると、「あの時、ああしとけば良かった」と、行動を起こさずに後悔することばかりでした。
また、若い時分に「もうこんな歳で今更…」なんて思っていたことが、決して遅くはなかったのだということに、歳を重ねてみて初めてワタクシは気がついたのです。
若いときには若いときの尺度でしか、物事をみれませんからねぇ。
だったら、「今からでも遅くないのでは?」、「やらずに後悔するよりも、やって後悔してやろう!」と考えるようになったのです。

こうなると、ワタクシは行動が早いのです。
10月下旬に退院すると、直ぐに辞表を提出し、年が明けた1月いっぱいであっり退職しちゃいました。
突然の出来事に周囲は驚いていましたね。
なんせ辞める理由が、いい歳した兄ちゃん(?)が「大学で勉強します!」でしたから(笑)。

それから二年が過ぎ、「優秀な中大通教生になってやる!」というワタクシの計画は狂いつつありますが(笑)、通教ライフをエンジョイしてます。
「学問に年齢制限なし!」
「思い立ったら吉日」
ですな。

あの入院がなければ、今頃きっと以前と同じように働いていたことでしょうね。
人生の転機なんて不思議なものですな。
どこでどう転ぶか分かりません…。

私個人のど~でもよい話を最後までお読み頂きまして、どうもありがとうございます。


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タダシガキとは
ワタクシのハンドルネーム(HN)ですが、きっと多くの方は「ただし書(但書)」に由来していると、ご想像されているとことかと思います。
その認識はですね、実を申しますと…正解でございます(笑)。

このブログを立ち上げる数ヶ月前に、中大通教生が集うあるコミュニティサイトに参加するようになりました。
その際、そこで使用するHNとして「タダシガキ」をチョイスしたわけなんです。

では、なぜタダシガキ(ただし書)にしたのかと言う前に、「ただし書」の意味について若干の説明を。
「ただし書」の意義につき、『有斐閣法律用語辞典(第二版)』有斐閣(200年)には、次のように書かれています。

「一つの条、項又は号の中で、主文章(本文)の後に続いて、これに対する除外例や例外的条件を規定するため、「ただし」という字句で始まっている規定をいう。」

つまり、ただし書が規定されている条文では、多くの場合は本文に書かれていることが原則なのに対し、ただし書で規定されていることはその例外なんですよね。早い話が「通常とは異なること・場合」といった感じでしょうかね。
もちろん、必ずしも「通常とは異なる」といったニュアンスがあてはまるものではないことは、ふだん法解釈に触れられている通教生の皆さんならご存じのことでしょう。ですから、あくまでも私の中のイメージと言ったほうが良いのかもしれませんね。

そんでもってですね。
ワタクシ自身について自己分析してみるに、良くいえば「個性的」、悪くいや「変わり種」だと思っています。
どちらかと言うと、個性的というのは、そうありたいという願望でありまして、後者の方がピッタリだと思ってます。実際によくそう言われますし(笑)。
また、詳細には申し上げられませんが、経歴的にも普通とちょっと違う道を歩んできたことからしても、そう言えるかもしれません(もっとも、何をもって普通というのかによって異なるでしょうけど)。
あっでも、ワタクシのことをそう形容して下さるのは、ワタクシ自身は賛辞であると捉えておりますので、嬉しく思うのであります。
もっとも、時には「変」と言われることがあるのですが、その場合には多少へこむこともあります(笑)。
でも、「変わってる」と「変」の分水嶺は、とても微妙ですよね。
ほぼ、同じだろうという話しもありますが、深くは追求しないで下さい(笑)。

そんなわけで、原則に対する例外、つまり「通常とは異なること」とというのが、ワタクシ自身のイメージと重なり合うような気がしたんですよねぇ…。
というわけで、「タダシガキ」に。

え~、長々と書いたわりには、中大通教に関するモノは一切ございませんでしたが、たまにはそういうこともあるちゅうことで、お許しを(笑)。
(今後、たまのことではないかもしれませんが…)

私自身に関する、ど~でもいいような話しを、最後まで読んで下さってありがとうございます。


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はじめまして
はじめまして、タダシガキと申します。

日記のタイトルにありますとおり、現在、中央大学法学部の通信教育過程(中大通教)で法律学を学んでおります。
早い話が、通信教育というスタイルで法律を学びつつ、大学卒業を目指しているってところでしょうか。
中大通教に関し興味のある方は、下記サイトを御覧になってみて下さい。

中央大学法学部通信教育過程公式サイト

当ブログを御覧頂いている中大通教生の方、ともに卒業目指して頑張りましょう!

え~と、こっそりと立ち上げたつもりのブログなのですが(笑)、とりあえずは発見して頂いたということですよね。
よくぞ、たどり着いて下さいました!(笑)
今後、中大通教生として日々思うことなどを、できるだけアップしてしていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。


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